「県民の日」記念作文コンクール (平成15年12月)

小学校の部 優秀賞  名栗小学校6年 岡部美月

家族みんなで参加するしし舞

 お盆が終わり、秋が近づく八月二十四日は下名栗諏訪神社のお祭りです。
 お祭りの中心は「埼玉無形民ぞく文化財」に指定されているしし舞です。私は神社の近くに住んでいるので小学校三年生の時からササラとして参加しています。ササラは小中学生女子四人が太陽、月、ぼたんの花笠を頭に付けて竹の道具をすります。笛に合わせて狂う三匹のししと同じぐらい大切な役目です。ひいおじいさんもお祭りが大好きでしし舞をしていたそうです。お父さんは昔笛をしていて、今はお母さんが着付け係で、家族中で参加しています。家にはしし舞の巻物があり、お祭の日には座敷にかざります。
 しし舞は百六十年も前に青梅市の高水山から伝えられ、大勢の人々の努力で引き継がれてきました。楽しく見てもらうために広い場所をいっぱいに使って舞うように工夫したそうです。そして、昔からの技がしっかりと伝えられているので県の文化財にも指定されました。今でも、練習は熱心で、ししと笛は一年中、日を決めて行っています。ササラの練習は八月一日から始まります。
 今年の役は「めじしがくし」です。今までに、「さおがかり」、「お宮まいり」、「しらは」をしてきたので、笛の音は頭に入っています。 練習は芝ごとに分かれて指導者に教わりますが、おぼえるのも早くなりました。
 お祭りの日は二時間も立っているので、すごく足が痛くなりました。とちゅう、うちわであおいでくれる人や、水を飲ませてくれる人もいます。こんな時、かげで働く人が大勢いることに気がつきました。歌をうたうのは保存会の年ぱいの人です。八十才ぐらいのおじいさんもいます。見物の人は、わざが決まった時や舞が終わった時に大きな拍手をしてくれます。地いきの人が心を一つにしてお祭りをもりあげているようで、うれしくなります。
 お祭りの最後は参加したみんなが集まり、神社の前で「千しゅうらく」の行事をします。ししとササラを中心にして歌をうたって「七つじめ」で終わります。
 子どもも、保存会の人も、氏子もみんなほっとした顔をしています。
 下名栗諏訪神社のお祭りは地区の人たちが大事にしています。名栗で生まれて、よそに出ている人もお祭りには帰ってきます。お祭り一日目の夜宮には公会堂でカラオケ大会が開かれます。昔は青年団が東京から歌舞伎を呼んだり、映画を上映していたそうです。
 家ではいなりずしを作ったり、赤飯をたきます。おかずは野菜のに物です。私の家も昔は親せきの人が大勢来たので、おばあさんは接待をしていて、しし舞をあまり見たことがなかったそうです。
 諏訪神社の境内には二区の公会堂があり、地域の人がよく集まります。また、初もうでや七・五・三には必ず神社におまいりをします。下名栗の人たちは子どもも、おとなも、また、新しく入ってきた人たちもこの場所を中心にして結びついているのだと思います。
 名栗村はもうすぐ飯能市と合併する話があります。合併して村が無くなっても諏訪神社とお祭りはいつまでも残ります。
 私はササラが終わって、感謝状をもらっても笛の練習をしてしし舞に参加したいと思っています。
 おじいさんは「埼玉県や大きな市も地域でいっしょうけんめい活やくしている人が支えている。」と言っています。私はお祭りだけでなく、今参加しているスポーツ少年団や子ども会でも上級生としてはずかしくない態度で活やくしたいと思っています。
 小さな活やくでもいいからしていると、何だか、大きな物を支えている気持ちになってきます。


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