成木の語源

(青梅のむかし話より引用)
 むかし、成木(なりき)の山に一本の楠の木(くすのき)の老木があった。おとな三人がかりで腕をまわしてもとどかないほどの大木で、成木谷を見おろすようにそびえていた。
 いつのころからか、この老木は、夜になるとあやしい光を放ち、ぶきみなうなり声をあげるようになった。
 村人は、恐しさに近よろうとする者もなかった。この噂(うわさ)は、遠くまでつたわって、ちょうどとうごく東国を巡錫(じゅんしゃく)しておられた僧行基(ぎょうき)の耳に入った。
 行基は、わざわざ楠の木のある山上にやってこられた。
 じっくりと大木を見上げていた行基は、やおら木の下で座禅(ざぜん)をはじめた。  村人は、どうなることかと遠まきにながめているばかり。 安楽寺(成木1丁目)
 行基の座禅はつづき、やがて夜がふけていった。あたりは、まっ暗。と、楠の木がザワザワと枝をゆすりはじめ、同時にみるみる木全体が青白くかがや輝きはじめた。
 楠の大木は、やみ闇の中に青白くうかびあがり、身がもだえるかのようにうなり声をあげた。 そのうち、青白い炎となった楠の中に、忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)ものすごい軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)のお姿がうかびあがってきた。
「おお、これは!この老木には、軍荼利明王の霊がやどっておられたのか。あの光は、この木が枯れてしまわないうちに明王のお姿を刻(きざ)み、この村の守り本尊(ほんぞん)にせよとのおつげであったのか。」
 行基はそう悟(さと)った。そこで、さっそく村人にこの大木を伐(き)り倒(たお)させ、一丈二尺(いちじょうにしゃく)の軍荼利明王の像を刻(きざ)んだ。
 また、ここに一宇(う)をたてて像を安置(あんち)した。  これが、安楽寺(あんらくじ)のもとであるという。 成木の語源(ごげん)は、鳴木、成木となったのだそうである。

写真は安楽寺(成木1丁目)

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