畠山重忠の切石 その一

 秩父の豪族畠山重忠公は、鎌倉幕府の重臣で将軍源頼朝公に召され、いつも鎌倉街道を通って出府していた。
 ある時、重忠公一行がいつものように秩父から山伏峠を越えて名栗を通り、小沢峠を過ぎ、松ノ木峠に向う途中、突然一寸先も見えない霧にまかれ名坂の山中に迷い込んでしまった。  重忠公は「これが噂の妖怪の仕業か」と、腰の大刀を抜き渦まく霧目がけ、気合するどく切り下すと、大きな悲鳴とともに霧は忽(たちま)ち消え足元に見事真ふたつに切られた石が落ちていた。
 重忠公一行は無事、松ノ木峠を越え、鎌倉に向うことができた。
 地元の人々は「畠山重忠の切石」と呼び、この山道を通り育林に励んだそうだ。

畠山重忠の切石

畠山重忠の切石 その二

 源頼朝公の重臣であった畠山重忠公は、秩父の地を治めていた。
 鎌倉幕府に出向く時、重忠公はいつも山伏峠を越え、名栗を通り、小沢峠、松ノ木峠を越え、軍畑に出て馬引沢峠に向かう険しい道だった。
 重忠公は心やさしく雄々しい美男であったため、一行が街道を通ると若い女たちをはじめ、多くの人々が一目重忠公を見ようと集まってきた。
 その人だかりをうっとうしく思っていた重忠公は、ある時、街道をさけて名坂峠を越える道をとった。
 峠を下る途中馬をつなぐ物はないかと探した重忠公は道端の石を見て、体いっぱいにみなぎる力をおさえがたく、腰の大刀を引き抜き、ものの見ごと真ふたつに切り、切り口に綱を通し馬をつないだ。
 地元の人々は「畠山重忠の切石」と呼んだ。

写真は畠山重忠の切石

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