落人伝説

高水山古式獅子舞

 鎌倉幕府の重臣だった畠山重忠が、元久二年六月二十二日、二俣川の戦で戦死し、その末葉の子孫が常盤の山中に来て隠れ住んだといわれ、戸主を瀧島文右衛門と称し、三軒の居をかまえた。
 
 刻がたつにつれ、徐々に麓の人々との交流も深まり、特に水山の獅子舞は熱心で、祭り前の夜の稽古が終わり、住家に帰り着いた刻には朝が白々と明けかけていたこともしばしだったそうだ。

 その後小田原北条氏が滅亡し、徳川の領となった時期現在の滝の上に移り住み、瀧島助左衛門と名のり、近代の文右衛門氏にいたるまで八代を経て今に続いていると伝えられている。

写真は高水山古式獅子舞

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