大丹波の獅子舞より 

大丹波でうかがったことより

 (2004/09/05初出)  8月の最終日曜日(8月29日)は大丹波青木神社で獅子舞が奉納される予定であったが、折悪しく台風16号接近のため9月5日に延期されることになってしまった。しかし、この日、このことを知らずに参拝される人がいるかも知れないということで、何人かの方々が待機して下さっており、その方々に大丹波の獅子舞についての貴重な話をうかがうことができました。さすがに元祖の大丹波の獅子舞から学ぶところは多く、獅子、ささら、笛等をそれぞれ経験されてきた方々に直に聞く話は、とても勉強になりました。また、いろいろとお持てなしをしていただいた上に、最初その場に居られなかった、笛を担当されてきた方にもわざわざお越しいただき、とても恐縮してしまいました。
 以下は、その時にお聞きしたことですが、私の受け取り方に不正確なところがあるかも知れません。そのような場合にはご連絡を頂ければ幸いです。

なお、青字は聞かせて頂いた内容であり、下の黒字の部分は自分の考えです。自分の勝手な推測や思い込みがあると思いますので、違うと思われるところはご指摘頂ければと思います。

大丹波の獅子舞…その継承方法や伝統について

 (1)大丹波では、獅子舞を行うすべての役(獅子、笛、ささら、歌等)は昭和30年頃までは、家(家系)によって決まっていた。つまり、獅子を舞う(狂う)人は、父も祖父もみな獅子を担当してきた家のものであり、これは笛についても、ささら摺りについても、歌唄いについても同様である。笛吹の家に生まれた長男は必然的に笛を担当し、ささら摺りの家に生まれた長男はささら摺りを担当するということであるが、当然のことながら、途中で他の役に替わるということはなかった。 (ただし、これが厳密に行われていたのは昭和30年頃までであり、現在は少子化の影響もあり、このような伝統は次第になくなりつつあるとのことです。 これからは、ササラを中学・高校生で行い、その後、獅子舞役者へという方向で検討しているともお聞きしました。)
 家によって役が決まっていたということは非常に興味深いことである。しかし、これがどのような意味を持ち、いつ頃から始まったのかはよく分からない。もし何らかの意味があるなら、各地のいろいろな獅子舞の伝承形態と比較することにより分かることかも知れない。あるいは、特に大きな意味はなく、親がやっていたことをそのまま引き継ぐ方が、伝承面で引き継ぎやすく、いつの間にか固定してしまったものかも知れない。いずれにしても、今後このことについて解明をして下さる方がおられればありがたいと思います。
 上成木高水山では、どの役を行うかは家によって特に決まっている訳ではなく、父と息子では違う役を行うこともしばしばである。私の生家などでも、曾祖父と祖父は獅子の役者であったと聞くが、父は笛吹であった。
大丹波 白羽  また、上成木でも大丹波と同様に、いったん入った役を途中から変えることはほとんど無かったようです。もっとも、獅子でも笛でも一人前になるには時間もかかることであり、両方をマスターすることはかなり難しいことでもあるようです。ただし、近年の上成木では途中で変更することも希にはあったと聞きます。私の兄は始めは笛吹として獅子舞に参加し、最初の7年間くらいは笛専門であったが、途中から獅子も狂うようになりました。これは本人の希望もあったのかも知れないが、人口が減ってきて獅子舞役者が不足してきたためと考えることができそうである。
 歌唄いについては、昨年初めて大丹波の獅子舞を見学したとき、若そうな方も歌を唄っており少しおどろきました。上成木高水山では歌を唄う人は、獅子舞役者や笛吹を終了し、その後何年も後進を指導してきた長老とほぼ決まっており、若い人が歌を唄うことはほとんど無かったからである。今回、大丹波では歌を唄う家も決まっていたと聞いて、若い人が歌唄いをできることについても納得したしだいである。
 これらのこと(家によって担当する役が決まっていた)は、もしかしたら大丹波地区の人口が上成木地区の人口よりも多いということが、その伝統を可能としたものなのかも知れません。
 ※また、ササラ摺りの本来の姿(男子が担当すること)が保存されてきたことも、この伝統(家系によって担当する役柄が決まっていた)のお陰によるのではないかと思う。

(2)獅子舞はすべて男性のみの手で行われる祭礼である。練習にしても祭礼当日の諸役にしても、すべて男性の手で行われており、女性の手が加わることはない。当然のことながら、ささら摺りも男子が担当している。
 ささら摺りが男子によって行われていることに、初めは少し違和感を覚えた。それは自分にとっての獅子舞の原点が高水山であったためだと思う。そして、ある書物に専門家の方が、「三匹獅子舞のささら摺りについては、本来は男性(男子)が担当するものであった」と書いており、始めは「そうと言い切れるものではないだろう」と考えていました。しかし、大丹波で話を聞いたり、他の歴史のある獅子舞の話を聞くうちに、専門家が示される見解どおりだと思うようになりました。
おそらく、高水山でも昔は男性(男子)がささら摺りを行っていたと考えて間違いがないと思います。なぜならば、上成木に伝わる「當村獅子舞縁起書」に書かれている大丹波のささらの師匠は男性であり、上成木側の教えてもらった人も男性(名前で判断する範囲において)だからである。もっと重要なことは、現在でも、大丹波、高水山ともに、練習も祭礼当日でもすべて男性のみによって執り行われているという事実からである。練習時の夜食の準備や祭礼当日の接待まで、すべて男性の手で行われており、かなり大変なことであるが、これはかつて獅子舞というものが男性のみがかかわることのできる神事であった名残であろう。 (※ 正確に言うと、現在では祭礼日のささら摺り(少女たち)の着付け等のために、一部女性の手が加わっている。)
 歴史の古そうな日原の一石山神社の獅子舞もささら摺りに女性がおり、現地の人に聞いてみたところ、「本来は男性がささら摺りした」ものであったとのことである。現在では人口減から女性にも参加してもらっていると聞きました。
 恐らく、男性(稚児)が行うべきささら摺りではあったのだが、いつの時代からか初潮前の女子も行うようになり、それが中学生ぐらいの女子にまで広がってきたというところが真実のところであろう。
 これは、江戸時代の旧大丹波村と旧上成木大沢入村(現成木7丁目)の人口の違いによるものと思われ、男性だけでは人数が足りなかったからであろう。(大沢入村が、初めて集落としての体をなした頃は17軒しか家がなかったとの伝承がある。獅子舞が伝授された頃は、ずっと後の時代であり恐らく現在と同じくらいの家の数はあったのであろうが、それでも大丹波の人口よりはずっと少なく、四十名位は必要とされる獅子舞を行うには男性だけでは人数が足りなかったのであろう。)

(3)かつては各家の長男のみが獅子舞に加われた。また、身内に不幸があった場合は最低でも1年間は獅子舞に参加することができなかった。
このことは、高水山と同じである。長男しか獅子舞に参加できなかったことは、近年まで守られてきた地区を出て獅子舞を行うことの禁止とともに技の流出を防ぐ意味もあったのであろう。しかし、現在はそうも行かなくなっている。上成木の場合は、次男三男はもとより、地元を離れた人たちにも応援してもらわなくては祭礼に支障がでるようになってしまったのではないかと思う。(私の弟はよそに所帯を持つまで、笛吹として獅子舞に加わっていたので、25年以上前にはすでに次男三男も参加していたのだと思います。)
また、身内の不幸による制約に関しては、御祓いなどによって対処することもあると聞いている。

(4)獅子舞自体は若者が行うものである。30代後半には親方(指導者)になる。
 高水山でも、かつては各地区から出ている「わかいしがしら(若衆頭?)」を中心として獅子舞が行われてきたようです。つまり、祭礼で奉納する獅子舞は若者が担当したものであり、15〜16歳頃から獅子舞に加わった場合には、20年もすれば役者を抜ける年齢に達することになる。おそらく30代の後半には獅子舞を行う若者集団から引退することになったと思われる。
大丹波 散らし  現在の高水山では、若い人だけで獅子舞を行うことができなくなってしまったが、人口の多い大丹波では、本来のあり方が現在でも引き継がれているようである。なお、高水山から下名栗に伝授したときの、獅子に関する約束事と思われる「御獅子一件議定書之事」にも、「下名栗 若衆代 栄蔵殿」と書かれており、下名栗の若い人たちの集団に対し渡された書状であることが分かる。
(若者集団の行う神事芸能だったということも専門家の指摘と一致するところです。)

(5)昔は、練習がかなり厳しかった。親方からの指導も 「頭の上げ方が違う」などといわれ、頭を押さえられて動かされたりしたこともあった。 また、練習以外の面でも上下関係の厳しさがあり、下の者は先輩の足を洗ってあげるなどの身の回りのこともやらねばならず大変だった。
このことも同様で、上成木高水山でも以前はかなり厳しかったようです。昔は厳しく叱る人やどなる人もかなりいたようです。初めて習う人の中には、練習の厳しさに絶えられず、太鼓を腹にくくりつけたまま家に逃げ帰ってしまった人もいたと聞いたことがあります。

(6)獅子舞役者の修得過程は、 花掛り→三拍子→竿掛り→女獅子隠し→白刃→御幣 である。
 これについても、高水山と同様である。御幣懸り(おんべいがかり)は、やはり上級の狂い手が担う演目であるようです。高水山では、大丹波から教えられたとおりの順序で現在でも演目を習得していると言える。しかし、この並び方がとてもうまくできていると現役最上級の狂い手から聞いたこともある。というのは最初に習う「花懸り」は獅子舞の基本となるものだし、段階を追って進む中で長時間を要する演目の「女獅子隠し」は、体力的にも良い頃にぶつかるようになっているとのことである。また、冗談半分かも知れないが、ちょうど配偶者を迎えるか迎えた頃の年齢が「女獅子隠し」を演ずる年齢であり、このころのいろいろな経験がこの演目を上手に舞う(狂う)のに大切であると話す人がいた。
(高水山のある古参役者に聞いたところ、一番やりがいのある演目が「女獅子隠し」だと聞きました。個人の力が十分発揮できる演目であるそうです。メインイベントの「白刃」はどうかと聞いたところ、この演目では獅子よりも太刀遣いの方がやりがいがあるとのことでした。)

大丹波の獅子舞…用具等について

(1)笛は六穴(六孔)である。現在は市販の笛を使っている人もいるが、本来は自作(※)したものである。また、今は細い笛を使っている人が多く、音が出やすい反面、本来の笛の味が出にくくなっている。昔はもっと太い笛を使っており、息が大変であるが本当に良い音がしたとのことである。
 なお、かつては3グループで交代しながら吹いていた。

 笛については、六穴(六孔)であり高水山も同様である。笛が昔より細めのものを使うようになっているのも高水山と同様であると思われる。 なお、大丹波の笛は、味わいのあるとても良いものである。この日一節聞かせて頂くことができたが、輝きのある音色と間の取り方は絶妙であり、とても素晴らしいものであった。
 笛吹の人数については、現在の大丹波では3グループも作れないかも知れないが、それでもたくさんの人たちがいて恵まれているといえる。上成木では笛吹についてもかなり厳しいものがあるようです。自分たちが子どもの頃は、3月中旬の夜になると練習の笛の音が谷間に響き渡ってきて、祭りの到来を予感させたものだが、少人数の現在ではそのような情緒はなくなっているのではないでしょうか。
(※ 「笛は本来自作したものである」と聞いて、我が意を得た思いがした。現在、自作することがほとんど無くなっているのは、この地方の篠竹が昔より減ってきた可能性も考えられる。)

高水山の万灯(2)花笠のささら花については、地元以外のある方が毎年作ってくれているそうです。しかし、高齢になられて、今後作ってくれるかどうか心配でもあるとのことです。
 高水山では、前日の揃いの時に氏子の人たちでささら花等を作っているが、このことに関しては、もしかしたら、大丹波でも昔は高水山のように氏子の人たちで作っていたのではないかと推測しております。したがって、昔は、高水山のような万灯(花万灯)もあったのではないかと想像します。

(3)この1年間で、獅子頭の塗り替えと水引き幕の新調を行ったとのことである。かなりの金額がかかったとのことです。
 金額を聞いて本当にびっくりしました。こんなにお金がかかるのかと驚きました。しかし、漆は塗りや乾燥を何度も繰り返さねばならず手間暇がかかり、水引き幕についても以前と全く同じ柄(牡丹の絵柄)のものを麻布で特注して作ってもらわねばならず、高価になってしまうのは仕方ないことでもあろうとも思いました。獅子舞を継承して行くということは、このような面でも大変なことであると認識を新たにしました。
 獅子頭は修理を何度もしながら獅子舞の創始期から使われているものであるようです。形も美しく貴重なものだと思います。高水山と下名栗の獅子頭も伝授された頃から使っている獅子頭であると考えて間違いがありません。なお、下名栗には隠居獅子と呼ばれる下あごのない古い獅子頭が残されており、高水山から今の獅子舞が伝授される以前にも獅子舞があったのだろうと推定されているそうです。

(4)「御幣」で庭に立てる幣束は、祭礼当日は金色の幣束であるが、前日の揃いの時は銀色のものである。
 本祭礼で使う御幣は神とも見なすことができるものなので、リハーサルの揃いで同じものを使う訳には行かないのであろう。つまり、揃いで使う幣束は代替品の意味合いがあり、色も金色でなく銀色にしているのであろう。なお、高水山でも揃いの衣装や用具は、一部簡略化したり異なるものがある。

(5)足袋について ささら摺りは黒色の足袋をはき、獅子は底が無い紺色の足袋をはく。
大丹波 散らし 高水山と下名栗ではささら摺りがはく足袋は白色のものである。これは、高水山と下名栗のささら摺りが女子であるためかも知れません。(高水山では、少子化のために男子が加わるようになりました。)
 大丹波の獅子がはく足袋は底なしのものであり、とても特徴的なものです。足の裏が直にわらじと接しており、滑りにくく経済的であるかも知れません。

その他

(1) 大丹波の獅子舞では「散らし」が重要な位置を占めている。散らしは最後に行われる締めくくりの舞いであり、獅子が花笠から離れて観客の中に入り込みアドリブ的に舞うものであるが、大丹波ではこのウェイトが非常に高い。 そして、この散らしで獅子が人々の悪魔払いをし、獅子にふれると縁起がよいとか風邪をひかないとか言われている。
 大丹波では獅子の舞手が青年であり、年長のOBたちに「まだまだ!」とか、元気のない獅子にはその呼び名で「大太夫!」とか、「女獅子!」とか叫ばれて、「くたくたになるまで舞を行わせられる」こともある。また、獅子の方も若干のハメをはずすことも許されているようで、例えば、普段なら土足厳禁であるはずの社務所に、草鞋履きのまま上がることも多少大目に見られているようだ。(本当は、事前に「上がってはダメだ」と言い含めてあるようだが、祭のことでもありその場になってしまえば多少は目をつぶっているようだ。)
オーバーに言うと、散らしを行うために前段階の舞があるように感ずるときもあり、そのウェイトは相当高いと感じる。
 高水山の散らしは、最後を締めくくる舞いとして演目の流れの中に組み込まれており、大丹波ほどのウェイトはない。それでも多少観客の中に入り込んだりするし、場合によっては遠くにある「鐘楼」まで行って、鐘をついて帰ってくる獅子もいる。  この散らしについては、どのように成立したものか分からないが、この系統の獅子舞の原形である可能性もありとても興味深い。

(2)上成木との交流  昔は、上成木との交流はかなりあったらしい。川井の方に出るよりも名坂峠を越えて上成木の方と交流することの方が多かったのかも知れないとの話もありました。 
たまたま話を聞かせて頂いた方は上成木に親戚があるとのことで、名坂峠にも子どもの頃はよく行ったとのことである。大丹波には名栗方面に親戚を持つ家もあられるようで、昔は上成木どころか名栗・飯能との交流もかなりあったのかも知れないと想像されます。残念ながら現在では、名坂峠を通る人もおらず、上成木に通じる道が分からなくなってしまっているとのことです。 (道が整備され、平成17年頃からは再び往来できるようになりました。しかし、車社会の現在では峠道を使うことは非常に少ないようです。)

大丹波青木神社の獅子舞  演目とその進行予定表 (平成15年度の場合)
演  目(所要時間) 開始予定〜終了予定
 花掛かり  (20分間)      午前7:00〜午前7:20(輪光院)
 宮廻り   (50分間)      午前7:30〜午前8:20(輪光院→青木神社)
 おんべい  (45分間)      午前8:35〜午前9:20
 三拍子   (30分間)      午前9:35〜午前10:05
 竿掛かり  (80分間)      午前10:20〜午前11:40
 花掛かり  (60分間)      午後12:30〜午後1:30
 女獅子隠し (130分間)      午後2:05〜午後4:15
 白  羽  (60分間)      午後4:30〜午後5:30
※ ここに載せたのは平成15年8月31日の例です。また、昼には祝賀会(約50分間)が行われています。 

大丹波の獅子舞は、上成木や下名栗の元祖となる獅子舞だけあって、その素晴らしさを随所に感じます。大丹波の獅子舞が三カ所の中で一番昔の姿をとどめていると言い切れるものではないが、それでも全体としてみると、さすがに歴史のある獅子舞であり、高水山だけでは分からなかった本来の意味や元の姿をうかがい知ることができます。
観客に入り込んで盛り上がる「散らし」や輪光院からの道中などに、獅子舞本来の姿を認めることができます。
 この大丹波の古式獅子舞が東日本に分布する数多くの三匹獅子舞の中でも、きわめて重要な位置を占めていることに間違いがないと思います。


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