日本獅子舞之由来(高水山所蔵) 
【出典 石川博司先生  深く感謝申し上げます。】
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日本獅子舞之由来(高水山所蔵)

 一爰本朝人皇之大祖 神武天皇より八拾七代之天子後嵯峨院御諱邦仁親王之御宇寛元三乙巳より     
 獅子舞と申事初発發たり 頃は三月三日之始なり 當日ハ上は今上皇帝お奉始 
 下は萬民に至る迄 五節旬の壱ツ異名を仙深と云 於内裏ハ是お仙深乃御言會と云
 最早春茂末に成り花もみとるか故に 仙人と云とも 此日は深愛を成さんと思が故ニ
 異名お仙深と唱也 殊ニ桃花茂花盛として薄紅乃色ヲ成セり 依君を奉始諸卿一同ニ
 曲水酒宴茂速に興盛玉テ花々敷 帝一枝ゑ短冊お色と叡慮を被趣セ 諸卿茂奉慰らんと
 各感シ入給折から 虚空もさわか志く俄ニ天もかきく茂り黒雲四方ニたなひいて
 雷鳴事夥敷 誠に東南ノ風劇敷天地之震動頻也 然かるニ大成ル光物 南之方ノより
 飛出ス 是お見者気異之思ひを不成と云事なし 此光物帝城之地紫宸殿ノ大庭江落止りた
 斯を知ルより 殿上堂下の公心動不斜 君茂叡慮をなや満され 臣下も集リ遠見たり
 然ル處ニ頭ト思ひしき物三ッ程有と思ゑり併異形ノ物ニて誰壱人として此名を知ル者なし
 前代未見聞之見物也と側近ニ寄ル者なし 噂ニ以月卿雲客武家将軍此異形の物をふ吉也
 是於天下愁亂之前評と等し 早ク人夫申付海中江捨へき也と 評談叟畢 然ル處ニ列座之内
 壱人ノ公卿被仰出に此儀は不私天作也 君帝江奏聞に達し王之勅意可随と宣 則奏時ニ天子
 の勅宣ニ曰 雖異形ノ物也分以凡夫の斗りニは難成シ 況哉佛天の可任尊意早ク石清水八幡宮ノ
 社ニおひて可任吉凶は詫宣ニと宣 則綸言ニ者ニ於八幡宮之境内ニ座元之八乙女を被召令
 神楽舞を禰宣神主ハ 捧幣帛大床ニ其外當寺高僧之讀經之聲梵天国江茂如響 如何成ル天魔
 怨靈茂障礙の恨も難成シ見ヘは傳ける 尊けれ誠ニ神祇之靈檢茂いとゞ涼しく有ます
 扨諸法執行之儀式茂速に事玉る神勅之詫宣ニ曰 此異形の物は南天竺洞ケ嶽と云峨々たる
 岩石山ニ住し 獅子と云猛□獣の頭也ト 其猛事高山をも崩し大地をも動す事甚以安し
 又猛盛なるは 荒時は国中をも覆程之猛獣也 依ら常に出ル事なく聖人出世之時稀ニ出
 ル但シ心穢之人に不見六根清浄之人ニは見同共地ヲ不蹈此地を蹈物也 然る猛勢の獸
 今ハ我朝ニ落来事 帝一天之仁政明にして天慮ニ叶 四海之万民王之御徳を奉服故に
 顕出と可知 蓋日本ハ雖小国大国ニ勝さる三ツの神宝有る故ニ自上として 君の徳ニ叶也
 然は自今己後天下泰平乃祭祀ニハ此頭を以人の首ニ載シ獅子の如狂令舞ハ 宝祚長安四民
 榮昌と和光随順諸天ハ善神茂納受仕給可有加護物也ト云々 斯テ天皇近臣ニ告テ曰
 任神詫可執行致旨被仰出時ニ 以執奉の公卿達御評議ニ曰 天下泰平 四民榮昌之祭ニ可狂と
 告賜詫宣ニ民江申下 令狂ハ神慮ニ茂随道理也と談畢 是我朝獅子舞の始也 依テ時之将軍
 鎌倉おゐて清和の正末右大将頼朝公四代之孫胤征夷大将軍源頼經公江勅使を以被仰下則時執權
 經時并四郎時政五代之後胤北条相模守平時頼両人下知として鎌倉近隣之国江可申付臨被申候
 依之於下總国ニ民夫被召出 右之御獅子被令舞 此民夫と申ハ此書江戴事 甚以上の恐有之
 候へ共 拙我家の元祖角兵衛申者也 此者雖有王城之地江被出召 紫宸殿の大庭ニおゐて
 狂初メたる物也 然天子の叡慮ニ茂又ハ月卿 雲客百官百司武家之将軍其外伺公の諸武士方迄
 御見覧ニ茂入し也 頃ハ春之末津方間二ヶ月を越 水無月中旬の頃に至角兵衛 弟角内弟角助
 此兩人を召連参内仕 三ツ頭を壱人壱ッ宛戴 三人ニて舞シ也 後ニは三人なから 一流宛狂出
 今世に廣弘物也 併角兵衛流は獅子ト云誠ニ以公の蒙上意被召出天子の叡慮迄入又舞初之祖師也
 誠受親ト云兄ト云師匠ト云何レニ茂難遁難離 況哉人として師親兄の三ツおふ重ト云事なし
 去程ニ天より 天下し満ふ御獅子の頭は石清水の御宝殿ニ奉納なりに右三人ニて狂頭ハ右之御頭を
 側ニ居置 佛子人冩彫奉仕物也 新造御獅子ハ三ツ共三人ゑ御褒美被下置た 扨又帝より此御頭ゑ
 官職を与給ハ作三ッ被任從五位之官大お大太夫ト云 次お小太夫ト□號 難有御事と申之通也
 無勿躰茂今上皇帝と申奉は宝祚八十三世に立せ給土御門院爲仁親王第二親王之皇子ニ而渡らせ給物也

    

  同諸式之謂ケ条ニ記    
 一獅子ニ羽を植る事誰か於天竺 羽の形見たらん哉日本江ハ 頭斗落たり胴ハ不落然ハ     
  不分明也此羽付大事は 孔雀鳳凰等之名鳥之形ニ 略鳳凰ハ鳥之司獅子は     
  獣之司成故對を取テ形を 顯す物也     
  腰に太鼓お付打事は天竺 震旦之祭事ニは皆 太鼓お腰ニ付打也壱ツには     
  是お縦也又弐ツには獅子 天より落時天地震動せる 其時お云又三ツには万物     
  打納ト云事お引歟    
 一花笠之事四ツ六ツ八ツ也 角兵衛流は四ツ角内流ハ六ツ 角助流ハ八ツ也此四ツの花は     
  忝茂須彌之四列を司守 護仕給増長廣目持國多門 之四大天王お評又春夏秋冬の     
  四季ニ茂略故四方ニ居テ 獅子お中ニ入守護致之心也 六ツ時は六根清浄の形を顯     
  八ツの時は八大龍王を評何茂 姿は弁財天女お學物也    
 一笛吹惣囃方哥詠之数ハ 於流々ニ茂難定是も八人か 拾弐人か十六人と可知先八人之     
  時は日本大秘之八将七 五三之御〆縄ニ略是は 年徳八将神の御形也拾弐人     
  の時ハ拾弐座神楽を評此 十弐座と申は第一薬師 拾弐神将并年の月数を     
  略也拾六人之時は大般若 本尊十六善神に無勿躰も 奉略畢    
 一獅子頭三ツ之事第一 日月星の三ツ是を三光 天子ト云又佛法僧之三ツ     
  家内守護之棟梁三宝 大荒神右何茂此三ツ也此 三ツを兼備物也と獅子     
  始之時於内裏致略定之事    
 一牡丹に獅子ト云諺有是は 於天竺此花を獅子愛 せしやら亦不愛か誰     
  人是を知らん哉此謂は 角兵衛狂始し時春の末津方 なれハ紫宸殿之御庭前ニ     
  被植置し牡丹盛也是を角兵衛 如愛狂へハ令以非不愛哉 是花笠の花の始也     
  狂方之事 三四拾弐の法 六々三拾六の式六八四拾 八通りの懸り何レ茂狂様の     
  故實并口傳之秘法は其師の 心より可傳者也併雖為獅子 之舞上手の師古傳旧法ヲ     
  曲て新規之私作等堅入 間敷事可任先教口傳 元祖之式法大切ニ相守     
  可狂物也    
 一右三四之事獅子の三ツ有 三お取り四季の四お取り三 四ト云也拾弐の法トは薬     
  師拾弐神将 拾弐座の神楽等 の法割也    
 一右六々之事第一六根清 浄の六を取ル可申也惣而 六々之割と申事地方の     
  立法也依之壱里之町歩も 六々三拾六町ハ何茂是ニ 准する但シ是に地之     
  三十六神を評物也 是又略して諸寺諸社の 坊数茂三十六坊トハ割出事    
 一右六八之事大六天の六を取 八大龍王の八お取り六八ト申也 是何茂悪魔降伏之     
  守護神也又四十八通リト割事 第一彌陀四十八巻經を 評ス壱巻を壱通へ割心也     
  扨又弘法大師いろはの始 四句の涅槃より出シつらね 給處之其数四十八文字也     
  是お略し但壱字お壱懸へ 割心也此四句と申ハ諸行無 常是生滅法生滅々己寂     
  滅為楽之四句也將又三四 六々六八の事三四の四は 角兵エ流花数の四也六々の六     
  角内流花数六也六八の八は 角助流花数八也是ニ應而 何も如此割出也能々可     
  為勘弁次第也    
 一獅子の事於凡下において 見物ト不可云無官輩は 拝見ト可唱如此重事は忝茂     
  日本江渡てハ被任從 五位の官又於天竺は 常ニ不出世ニ稀ニ出時茂     
  忌穢の地を不蹈同其ニ 不見清浄の地又其人ニ 見申也ケ様ニ心立尊獣成 故也    
 一三流の内天下一と名乗 流有是ハ嫡流之外無之候 此謂は奉尋處ニ難有茂     
  宝祚八十八世ニ立せ給 後深草院久仁親王之 御宇宝治元年丁未の夏     
  右三人被召出任舊例ニ紫 宸殿の大庭ニ而祓舞せたり 此角兵衛勝シ事随一成故     
  恐多茂自直ニ天下一角兵衛 獅子ト宣是よりして天下一トは 名乗申事也去程ニ此御代     
  より 諸国ニ獅子舞弘物也 第一弘始は王城の地石 清水の所在江角兵衛     
  傳授仕たり於今大内之 祭獅子ニハ石清 水より参り狂也是お第一ノ     
  始として今諸国諸郷ニ 廣弘物也依之夢々無怠事 祭禮ニ可狂狂獅子舞なり    
 一右獅子在懸リ之名目も佛神 を司號たりケ様ニ皆一ツとして 佛神三宝の御名お准すと     
  云事なし諸法之縁儀を 引不残佛天之御形を 無勿躰も奉略物也獅子     
  狂之者不及申諸役人共ニ 前書に記出ス通リ佛神之 御姿を拝ミ茂奉略間随分     
  祭時には身を清メ六根は 清浄ニ可持依而石清水 八幡宮の御詫宣にも随分     
  清浄ニ致令舞ハ諸天 善神諸佛薩陀茂納 受仕給天下泰平國土 安全村里繁昌無病     
  延命風雨和順五穀 滿作之幸福を授与せんト 宣也夢々非可疑惣而     
  祭と申ハ何レヲ何れ共 雖分皆神祭之道理 信心堅固之旨趣雖為     
  同事別而此獅子ハ忌穢 の道お嫌か故に狂様は舞 方の品々ニ茂忌穢     
  愁間敷風情一向無之候 外狂言ニは必生死の 啼哭非無之哉於此獅子ニ     
  無此愁然ル時ニ 六根清浄ニして祭事は 是ニ勝レる神勇之事     
  有シ哉則何を以しか 云ト問答曰欲徳愁悦 曲直苦楽生死のわつ     
  らへなし故に正直トは 是お大方可申物也ト云々 又拝見仕人々茂贔屓の     
  無沙汰茂気茂不張 心も不闇して見る故ニ 大方神慮ニ茂可叶也     
  異日獅子及狂時ニ 其田の始終共ニ唱事有

   

 神法祕文之口傳    
 第一  天下泰平宝祚永久 將軍長治村里繁 昌家内安全万難 消滅千祥來聖至家    
      蒙強運風雨和順  五穀滿作無病延 命諸願成就ト可唱 是ハ念願也    
 第二祕文  南無三社三光  祇園三宝四大 天王瑠璃光弁 財大達八大将十    
       二神八大大六不 動明王大悲  観音拾六善神 南無皈命頂礼    
       諸天神護阿鑁吽    
 第三兩部  光明真言 是を拾弐返可唱    
 第四拾二説  オンアニチアソハカ      オンヂンハヤケンソハカ    
        オンソラノハテエソハカ    オンコケイレレハミリタソハカ    
        おんやんいらやそわか     おんかもいもきそわか    
        おんおくそらやそわか     おんあみいてやそわか    
        オンベイシラマンダソハカ   オンウリニソハカ    
        オンアロミヤソハカ      オンアラハラソハカ     
 是を三返可唱  是を獅子拾弐通之 神法祕説ト云謹而可行    
 第五三種祓  トホカミヱミタミカン ゴンシンシンソンリ    
        コンダケンハライタマイヨメタモウ  是を三返可唱    
     右五種之祕法無怠事謹而 可唱是を以獅子舞神道の 家也ト云

   

  右從五位之御獅子一件之來由 我等方より申開儀上の恐有之候 得共元祖より傳授之秘書有之    
  上如斯書出者也然上は  角兵衛角内角助此三流の外 餘流無之候若於三流の内ニ    
  流儀之背古法致式外狂亂 之輩有之節は此書を以 流々之法儀お示し懸通の    
  相教其上相破損有之 □□急度相改可申事不 可子細有之但シ右三流之    
  御獅子ハ何ながら茂我等方より 此一通相傳可致事嫡流 獅子等といへども此書    
  □之志て天下一と玉可名乗 只嫡流角兵衛獅子と斗可唱 者也依て傳言如件

   

        寛文元辛丑 七月日    
                武州三田領大丹波村    
                   天下泰平祭御獅子  祖家本姓    
                      傳 所   山 崎  角 太 夫 (印)    
                   大 獅 子 大 祖    
                            福 嶌  □   蔵 傳之    
                     後傳     福 嶌  半 兵 衛 傳之

     

                   同 郡 大 沢 入 村    
                         浅 見 七郎左衛門 殿    
                         加 藤 三左衛門  殿    
                         瀧 嶋 九郎兵衛  殿    
                   寛政七年 乙卯九月    譲渡之者也

  

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