歌の再編成を推理する  

 各演目で歌われる歌が三カ所でずれている理由は、教える側のプライドから、わざと歌を入れ替えて教え、「伝授するということは、自分たちで演じているもののコピーを渡すことではない」と考えてきたが、全部の演目での獅子舞歌を見ているうちにこの考えに疑念がわいてきた。  演目ごとの歌を見てみると、どの地区でもそれなりの観点のもとに歌が並んでいるような気がしてきたのである。各地では、伝授されたものを尊重しつつも必要な場合には新たな歌を導入し、全ての演目の整合性も考えながら歌を編成し直した節が見られるのである。

獅子舞歌の再編成を推理する

 演目ごとにこの観点から見ていきたい。ここで青字は歌の意味から考え、その演目で歌う必然性が読みとれる歌であり、そこに納めなくてはならない歌でもある。また、歌の順番にも配慮されており、一番目の歌1は最初に歌うのがふさわしい歌が選ばれていることにも気がつく。
一、  宮参り・御幣懸り
 まず、宮参り・御幣懸りであるが、この演目では舞の行われる庭や宮(寺)を祝福し誉める歌が歌われるべきであるが、高水山ではまず1番目の歌で門を誉め、次の歌2で寺を誉めている。この演目にふさわしいものを順番も考えきちんと選んでいることが分かる。 また、大丹波では「宮」と呼んでいるところを高水山では常福院龍學寺のため「寺」と変えている。大丹波2番目の「これのお宮へ来て見れば さても見事なこれの宮かな」は使われず、代わりに「この寺は飛騨のたくみが建てたげで 楔一つで四方固めた」の歌をつかっている。大丹波では、この歌を青木神社では使わず輪光院(寺)で舞うときに使っているようであるが、高水山では龍學寺という寺であるためここで使っている。歌の意味や雰囲気から考えても、よいところに配置できているように思える。
また、「廻れや車廻れや車 早く廻りて関に止りように」の歌は、宮参り・御幣懸りの1番として歌っても意味がないと考えたようで他に回している。
 ※大丹波3の「これのお庭へ来てみれば かさね築地に建てた門かな」の上の句「お庭」を「御門」に変え、若干の手直しを行ったものが高水山1の歌であろう。
演目 大 丹 波  高 水 山  下 名 栗 
宮参り・御幣懸り
  1. 廻れや車廻れや車 早く廻りて関に止りように
  2. これのお宮へ来て見れば さても見事なこれの宮かな※高水山で使われなくなった歌
  3. これのお庭へ来て見れば かさね築地に建てた門かな
  1. これの御門へ来てみれば たたみ築地で建てた門かな
  2. この寺は飛騨のたくみが建てたげで 楔一つで四方固めた※高水山でここに配置した歌
  3. 武蔵野に月の入るべき山もなし 尾花隠れに曳けや横雲
  1. これの御門へ来て見れば 畳築地に建てた門かな
  2. この宮は飛騨のたくみが建てたげで 楔一つで四方固める
  3. 武蔵野に月の入るべき山もなし 尾花隠れにひけや横雲

二、  女獅子隠し
 女獅子隠しでは次の2首が選ばれている。この2つの歌は内容から考えても女獅子隠しとは切っても切れない歌であり、他には決して流用できないものでもある。ここでも納まるべき所に納まっていることが分かる。
大丹波の2番目の歌は、他の2カ所と比べ歌詞が短くなっている。ことによったら、元の歌詞は高水山・下名栗と同じものだった可能性もある。他の歌と比べ長すぎて歌いにくいので、少し短かくした可能性もあるのではないかと思います。(ただし、現在の高水山では2の歌は全く歌わないし、下名栗でも歌わないことが多いと思います。)
演目 大 丹 波  高 水 山  下 名 栗 
女獅子隠し
  1. 思いもかけぬに朝霧が降りて そこで女獅子が隠された
  2. (※)天竺のちくせ結びの神なれば 女獅子男獅子を結び合せろ
  3. 武蔵野に月の入るべき山もなく 尾花隠れに曳けよ横雲
  1. 思ひもかけぬ朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたよな
  2. 天竺のあいそめ川のはたにこそ しゅくせ結びの神たたれたよ 真のしゅくせの神ならば 女獅子男獅子を結び合せろ
  3. 八つ連れが尾鰭揃いで行く時は さても館は名所なるもの
  1. 思ひもかけぬ朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたよな
  2. 天竺のあひそめ川のはたにこそ しくせ結びの神たたれた まことしくせの神ならば 女獅子雄獅子を結び合わせろ
  3. これのお堀へ来て見れば さても見事な鯉の八つ連れ

三、  太刀懸り(白刃)
 太刀懸り(白刃)は真剣を使い勇壮に舞われる(狂われる)演目で、悪魔を払う意味もある。これは1の歌で「この獅子は悪魔を払ふ獅子なれば あまり狂ふて…」と歌われている。また、白刃は最後のトリを受け持つ演目であり、これをもって朝から行われた獅子舞が終了するものであるため、「日は暮るる…お暇申して…」の歌を最後の3の歌として選んでおり、これも道理にかなっている。 また、大丹波ではこの演目の歌が二首だけのようだが、高水山では他の演目との整合性も考え、間に一首を導入し他と同じ三首にしている。下名栗では、この2の歌として「天から下りし唐絵の屏風 一重にさらりと押しひらかいな」を導入している。これと類似の歌「京から下りし唐絵の屏風…」は各地で見られる獅子舞歌であるが、大丹波や高水山には無かった歌である。
演目 大 丹 波  高 水 山  下 名 栗 
白 刃
  1. この獅子は悪魔を払う獅子なれば あまり狂いて角をもがすな
  2. (歌 無し)
  3. 日も暮れる道の女笹の露がいて お暇申していざや友達
  1. この獅子は悪魔を払ふ獅子なれば あまり狂ふて角なもがすな
  2. これのお堀へ来て見れば さても見事な鯉の八つ連れ
  3. 日は暮るる道の女笹に露がいる お暇申していざや友達
  1. この獅子は悪魔を払ふ獅子なれば 余り狂ふて角らもがすな
  2. 天から下りし唐絵の屏風 一重にさらりと押しひらかいな ※下名栗で新たに導入した歌
  3. 日は暮れる道の女笹に露がいる お暇申していざや友達

四、  三拍子
 三拍子は他の演目とは異なり、もとから的確に当てはまる歌は見あたらないが、それでも獅子たちが遊び疲れて腰を休める場面で1の「…腰を休めろ」の歌が、眠っている場面から起きる場面までを2の「…いざや立たいな」の歌が歌われ、本来の歌の意味するところとは関係なさそうであるが、動作的に関連する語句のある歌を選んでいることが分かる。
 「安政の歌本」によると、当時は高水山3の歌は下名栗3と同じ「我国は…お暇申して…」の歌であった。下名栗に伝授した後に、高水山の方で歌を入れ替えたと思われる。当時は「我国は…お暇申して…」の歌が「三拍子」と「竿懸り」の2個所にダブって使われていたために、後の時代に「これの古木が…」の歌をここに導入して歌の重なりが無いようにしたのではないだろうか。
演目 大 丹 波  高 水 山  下 名 栗 
三拍子
  1. これのお庭の牡丹の枝を 一枝たごめて腰を休めろ
  2. 磯村の宿の娘に目をくれて 居るにゃ居られずいざや立ちあいな
  3. これのお庭へ来て見れば 黄金小草が足にからまる※花懸り3とダブっている歌
  1. これのお庭の牡丹の枝を 一枝たおめて腰を休めろ
  2. 磯村の宿の娘に目がくれて 居るにゃ居られずいざや立たいな
  3. これの古木が実をもちて 黄金あしだで壺をながめる※下名栗で使われてない歌※高水山で新たに導入した歌。(安政の歌本によると当時はこの歌ではなく、右の下名栗3と同じ「我国は雨が…」の歌を使っていた。)
  1. これのお庭の牡丹の枝を 一枝たごめて腰を休めろ
  2. 磯村の宿の娘に目をくれて ゐるにゃゐられずいざや立たいな
  3. 我国は雨が降るげで雲が立つ お暇申していざや友達

五、  花懸り
 残りの演目での歌の選び方は、きわめて難しい。というのは、大丹波から受け継いだ歌がもとから演目の内容を説明しているものとは考えにくく、かなり苦慮したのではないだろうか。(もともとこの系統の獅子舞では、より良いストーリーの完成のもとに獅子舞を作ったと思われ、歌は従来のものやはやり歌を適当に当てはめたもののようにも感じる。)
かなりこじつけであることは重々承知であるが、高水山の先人も大丹波から伝えられた限られた歌の中で、やはりこじつけを承知で選んでいったのではないだろうか。
残りの歌から、「花懸り」および「竿懸り」の歌を選ぶとき、少なくとも1番の歌については少しでも演目と近そうな歌を選ぼうとしたはずである。その結果が、花懸りでは「これのお庭に来て見れば 黄金小草が足にからまる」であり、美しい花が咲いている庭場を何となく連想させそうな歌詞である。
演目 大 丹 波  高 水 山  下 名 栗 
花懸り
  1. これのお堀へ来て見れば さても見事な鯉の八つ連れ
  2. 八つ連れが尾鰭揃えて行く時は さても館は名所なるかや
  3. これのお庭へ来て見れば 黄金小草が足にからまる※三拍子(3)とダブっている歌
  1. これのお庭へ来て見れば 黄金小草が足にからまる
  2. 水ゆえに奥の朽れ木が流れ来て 今はよしない志もつまの橋
  3. 志もつまの橋にかくるも縁でそろ 後に残りしうらき恋しや
  1. これのお庭へ来て見れば 黄金小草が足にからまる
  2. 水ゆえに奥の朽れ木が流れ来て 今はよしなの下妻の橋
  3. 下妻の橋にかかるも縁でこそ 後に残りしうらき恋しさ

六、  竿懸り
竿懸りの1番では「廻れや車廻れや車 早く廻りて関に止るな」を選んでいる。竿懸りの竿の意味するものが元は川だった可能性もあり、この歌が少しは関連性のある歌とも考えられる。しかしもっと重要なことは、「これのお庭へ…」の花懸りの歌と「廻れや車…」の竿懸りの歌の二首は、歴史も古そうな獅子舞歌であり、1番にふさわしい歌であると先人が考えていたような気もするのである。
 ※高水山2で「これの館の殿様は 今が盛りとうちみえて 黄金あしだで壺をながめる」という歌が初めて登場しているが、これと似ている歌として小留浦の「此の男の今が盛りと見えて候 二階座敷で壺を眺むる」がある。
演目 大 丹 波  高 水 山  下 名 栗 
竿懸り
  1. 水故に奥の朽木が流れ来て 今はよしなえしもつまのはし
  2. しもつまのはしに掛かるも縁でそろ 後に残りしうら木恋しい
  3. 我が国は雨が降りそで雲が立つ お暇申していざや友達
  1. 廻れや車廻れや車 早く廻りて関に止るな
  2. これの館の殿様は 今が盛りとうちみえて 黄金あしだで壺をながめる※高水山で新たに導入した歌
  3. 我が国で雨が降るげで雲が立つ お暇申していざや友達
  1. 廻れや車廻れや車 早く廻りて関に止るな
  2. これの館の殿様は 今が盛りとうちみえて 黄金あしだで壺をながめる
  3. 八つ連れが尾鰭揃へて行く時は さても館は名所なるかな

歌の再編成を推理する

 ここまでのことをまとめ、高水山の先人がとった再編成の手順を推理すると、
(1)まず、演目に関係のある歌、そこで歌うべき歌を選びだし、最低一首は各演目に配置できるよう努力した。(表の青字で示す歌)
(2)演目に関連がある歌が二首の場合は、演技の順番もしくは重要な順番で1、2と並べた。

   ※後には1番目の1の歌を特に重要視したものと思われる。
(3)全ての演目での整合性を考え、どの演目でも三首の歌が入るようにした。
(4)同じ歌がダブって使われないようにした。
(5)上記の(3)・(4)を行うと伝来した歌が不足してくるので、新たな歌を導入した。
(6)伝来の歌の中で意味するところが不明もしくは適当では無いと判断した場合にも新たな歌と入れ替えた。

 上記の(1)と(2)は説明済みなので略すが、(3)のどの演目でも三首にするという観点から入れられたのが、白刃の2の歌だと考えられる。また、(4)のダブって使われていた歌が、大丹波の「花懸り」と「三拍子」の両方に見られる「これのお庭へ来てみれば 黄金小草が足にからまる」であり、高水山では「花懸り」だけに使うように改変している。
そうすると伝授された歌の数が不足することになる。このために他地区で歌われている獅子舞から拝借するか、新たに歌を創作するかした。それが、高水山で初めて姿を現した「竿懸り」2の「これの館の殿様は 今が盛りとうちみえて 黄金あしだで壺をながめる」ではないだろうか。
しかし、それでもさらに一首不足するので、しかたなく(?)この下の句をそのまま流用し、「これの古木が実を持ちて 黄金あしだで壺をながめる」を新たに創作し、これを三拍子の3で使ったのではないだろうか。(※この歌は上の句と下の句のつながりが不自然に感じる。上記の理由で高水山の先人が急遽作った歌のような気がしている。)
 では、演目との関連性が薄い歌はどのように当てはめて行ったのであろうか。実はこれがよく分からない。数合わせ的な感じで空いている3もしくは2に適当に入れ込んだ気もする。そういうことも多少関係して、高水山では後の時代に2と3を歌わなくなってしまったのであろう。
 下名栗に伝授されたときも、歌の見直しは当然行われたと考えられ、高水山不動堂の「寺」から諏訪神社の「宮」に御幣懸りの歌を変えている。 さらに、より良いものとするために若干の配置換えと新たな歌の導入が検討されたと思われる。各地の獅子舞歌としてよく見られる「天から下りし唐絵の屏風 一重にさらりと押しひらかいな」は大丹波でも高水山でも見らず、下名栗で初めて登場したわけであるが、獅子舞歌の見直しが下名栗でも行われた証拠であると言えるのではないだろうか。
 以上いろいろ書いてきたことは、素人の私が考えた勝手な推測である。手持ちの限られた資料の中で解釈したものであり、真実は違う可能性が大きい。(専門の方が草創期の古文書にあたり、これらのことを解明して下さればと思います。)
しかし、各地区で新しく取り入れられた歌前の歌より良いものに感じられ、使われなかった歌(前の歌)はやはり今ひとつの完成度の歌であるようにも思う。これは、獅子舞歌の取捨選択および配置換えがどこの地区でも行われた証となるものではないだろうか。
 いずれにせよ数百年の歴史の中で、その節目ではいろいろな面でより良いものを求め改良しようとした動きがあったのではないかと思う。歌だけでなく用具についても所作についてもこれは行われ、だからこそ地区による芸態に違いが生じ、面白いものになっているのだと思う。
 そして、このような変化は決して退化ではなく進歩なのだと考える。どこの地区の獅子舞でもあるいは民俗芸能でも、より良いものを求めての改良や工夫ならば、現在も含めてそれは大いに歓迎すべきことであり、それが本来のあるべき姿なのだと思う。

参考資料 : 大丹波の歌詞は石川博司先生の資料による

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