高水山縁起 |
水山縁起
武州多摩郡上成木村水山ハ智證大師開拓之地也本尊浪切白不動明王ハ即大師一刀三禮之御作にして妙想忿怒威力自在之尊像也其由來を尋奉るに大師同郡日原大日如來之窟を開き給ひし時當山之頂に當て毎に紫雲靉靆靈光赫々けり大師之を奇と其光を尋て攀濟給ひしに既に半腹に至り給ひし時數多の山神現出嗔をなして障礙せんとす然りといへとも大師之御コ殊に勝を給ひけれハ障魔ハ却て佛法守護の神となり于今御坂の内にして三の山神之祠あり大師弥々山頂に至り給ひしに古木森々として又平地あり囘りに四ケ所の瀑布あり所謂白糸の瀧五段の瀧精進ケ瀧舛ケ瀧是也後世細に探りて四十八瀑布と稱す夫如此山にして如此流水あり高水山と名つくも宜なり大師始て明王の靈地なる事を知り尊像を安置せん事を誓ひ給へハ明王忽に出現し給ふ其御相仁壽三年大師渡唐之砌海荒て流求國に漂ひ給い御危難之砌大師閉目不動尊を念し給ふ時に明王舳に立利劍を以て逆浪を切拂給ひし御姿也大師歡喜不淺乃自二尺有餘の尊像を彫刻し安置し給ふ依て浪切白不動明王と稱し奉り土人崇敬不淺 其後秩父荘司畠山重忠當山の麓常磐と云ふ處に住せし時此尊に皈依し勝利を得る事數度乃て渇仰愈々深く建久年中大堂建立有し□□以來貴賤益歩を運い日々群集せり尤靈驗炳焉にして諸人の願望速に成就□一千餘軒の氏子皈依渇仰し□□□□仁王門鐘樓繪馬堂等檐を連ね甍天に輝けり數百年を經て元應二年八月山火の爲に不殘燒失せり奇哉尊像御堂の坤の方中の嶽といへる處へ飛給へり于今其處を奥の院と稱す諸人且驚き且尊み不動堂一宇不日□再建せり爾來今に至て歩を運ふ者不絶靈驗日々新にして諸願滿足せすと云事□□奥の院愛宕權現大天狗小天狗の舊祠□□尤女人禁制也 當山の宝物重忠の太刀同く名馬の玉 常磐御前の鏡等何□こそ希世の珍也幸にして今日に傳ふ 亦明王の加護し給ふ者や
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水山縁起
武州多摩郡上成木村水山は智證大師開拓之地也 本尊浪切白不動明王は即ち大師の一刀三禮之御作にして 妙想忿怒威(そふふんぬい)力自在之尊像也
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※ 浪切白不動明王……普通の不動明王は剣を上に向けていますが、浪切の字の如く剣を下に向けています。荒波を切り開き、乗りこえる意味があります。
※ 機種依存文字が含まれ、環境によって表示できない字もあります。また、Shift_JISコードに無い字が一部あり、これは同じ意味の新字体に置き換えています。