獅子舞の改変期  

1.大きな改変があった時代はいつか

 高水山での獅子舞が元祖の大丹波と比べ、少し違ったものになっていることはこのWebで述べてきたとおりである。目に見えないくらいのほんの僅かな変化ならば、いつの時代でも少しずつ生じていると思われるが、ここで述べたような大きな変化はいつ頃起こったものであろうか。
 それは最初考えていた以上に短期間のできごとであり、しかも獅子舞が伝授された直後から起こっていた可能性が高いのである。
私は始め、當村獅子舞縁起書という古文書の最後の方に書かれている「御幣 三拍子 妻獅子 花見 さを 白刃   右六流委細傳授     無残所藝古秘術盡習置申候」という言葉通り、明和5年の伝授が完璧なものであったと考えていた。 このように考えたときの大きな改変時期の推論は次の青字で示すようなものであると思われた。
 獅子舞が伝授された明和5年から免許皆伝の由来書が授与されるまでは、伝授元とまったく同じように獅子舞を演じ、次代に正確に受け継ぐことに主眼がおかれたはずである。この頃までは、大丹波から習ったオリジナルを改変するとは考えにくく、もし変えてしまったら免許皆伝にもならなかったであろう。したがって、高水山で演出上の改変や所作等の工夫が盛んに行われたのは、1700年代のかなり後期以降であろう。その頃になると、獅子舞がしっかりと地域に根付き、獅子を演ずる世代も大多数が次代に受け継がれ、改変することへの抵抗感もなくなってきたと考えられる。「自分たちの地にあったもの」、「より演じやすく見ばえもするもの」という観点で工夫改良されていったと考えることができるのである。
 しかし、上記の考え方は、下名栗との関連を考えたときに明らかに無理があることが分かった。なぜならば、大丹波との違いである 「獅子舞歌の歌詞」、「歌を導く部分の笛の吹き方」、「太鼓のたたき方」、「ささら摺りの性別」、「御幣懸りの御幣の形態」、「獅子頭の色分け」、「各演目での演出」等は、そのほとんどが下名栗にも伝えられているからである。(ただし、下名栗では下名栗なりにまた少し変化している。)
 寛政7年時点での高水山での獅子舞が当時の大丹波の獅子舞とほとんど同じだったとしたならば、そのわずか13年後の下名栗への伝授(1808年を習い始めと推定した場合)の時までに、これらの変化が一気に起こったと考えねば理屈が合わないことになってしまう。 たった13年間で、今まで変わらなかった部分が一気に変化し、新たな芸態、新たな用具等を持つようになるとは考えられない。もっと考えられないことは、伝授後27年もたち、それなりの芸風が人々の身についたであろうこの頃に、慣れてきたものを新たに変えて行こうとする動きがあったであろうか。こういうことは、よほどのことがない限り不可能な話ではないだろうか。
 それよりは、伝授された直後から高水山流に獅子舞が変容し、寛政7年頃には用具や芸態も含めて完成度の高い新たな獅子舞ができあがったと考えた方が理屈が通り自然である。
 寛政7年に免許皆伝の免許状ともいうべき巻物が授与されたのは、伝授元のコピーのような獅子舞が完成したからというわけではなく、伝授元と違う部分があったにせよ、その地なりの完成度の高い獅子舞ができあがり奥義を究めたと認識されたからと考えた方がよさそうである。

2.伝授と免許皆伝

 伝授の目的はコピー品を作ることではなく、免許皆伝もコピーが完全になされたと認定して出すものでもないだろう。このことは、現在のいろいろな分野での習い事や師弟関係を見ても同じであろう。
 獅子舞の伝習については、明和5年の6月と7月の2回に分けて大丹波から師匠の人たちが10名入来し、上成木大沢入村の21名の者が伝習を受けたことが古文書より分かる。しかし、伝習期間を示す文書は今のところ見つかっていない。時間的な面や経済的な面を考えてみると、どう考えても半年間以上にわたる伝習期間とは考えにくい。せいぜい1ヶ月、長くても2ヶ月くらいのものであろう。一日あたりの稽古がどのくらいあるかによっても違うが、伝習期間が1ヶ月程度のものならば大筋はマスターしても細部まで完璧に伝授することは難しいと思う。継承システムが完成している現在ならば、子どもの時から獅子舞を見ている者なら多少ぎこちなくても短期間でも何とかかっこはつくであろうが、それまであまり馴染みがない人だったらゼロからスタートして、1ヶ月程度の伝習期間で細部までものになるかどうか疑問である。実際に初めて獅子舞を習うと、その難しさに驚くそうである。動作に気を遣っていると太鼓がおろそかになってしまい、太鼓を叩くことに気を遣っていると今度は舞いがうまくできなくなると聞いたことがある。現在ならば、最初の舞いが多少自己流であったりあやふやであったりしても、その後の先輩たちの指導で正しく導いてくれるであろう。しかしこの時の伝授で、大丹波からの師匠が帰ってしまった後では、細部で違いが生ずるのはやむを得ない。ささら花等の用具にしても、まったく同じものというわけには行かなかったであろう。どうやら高水山に伝授されたと同時に高水山流の獅子舞が始まらざるをえなかったと考えた方がよさそうである。そして、伝授する側にしても短期間での細密な伝授というよりは、その後の祭礼等での相互訪問での指導も期待したものであったのだろう。
 しかし、このことはかえって幸いであったのかも知れない。なぜならば、その地にあった工夫や改変の余地が残されたからである。それまで獅子舞の伝統がなかった高水山の先人たちは、かえって新しい新鮮な目で獅子舞を見直した可能性が高いのである。大丹波からの師匠たちが帰った後、上成木の人たちでもう一度獅子舞を確認して行く中で、元と違う部分が生じてしまった可能性も否定できないが、かえってより良いと思われる方向で改変された可能性もある。獅子舞歌の編成についても、明らかに理屈のあった並び方に検討されていると思える。歌を導く時の最後の笛の吹き方(高く強くヒャニ↑と吹いて歌を導く)にしても歌方(謡い方)にとって歌い出しのタイミングが取りやすいものになっているように感じる。各演目での演出にしても、それまでの伝統がなかっただけに自由な発想で改変することができたのではないだろうか。舞いにしても、元と変わってしまったところはあったにせよ、その後の長い伝承の中でひとりでに合理的で美しい身のこなしを持つ所作が完成して行ったのであろう。
獅子の太鼓のたたき方の変化は特に大きな変化であり、これは舞いの違いに非常に大きなウェイトを占めているものと思わる。左右のたたき方が同数でないという高水山の太鼓のたたき方は、大丹波のたたき方がマスターできなかったり、忘れられてしまいこのようになったのかも知れないが、(あるいは意図的に変えたのかも知れないが)偶然にも当時としては非常に斬新なものであったと言える。高水山の獅子舞が、古くからの古式獅子舞であるにもかかわらず新しい(個人的な感じ方です)と感じさせるのはこの面が大きいように思う。
2006/3/10追記  (獅子舞歌の再編成や宮巡りから御幣懸への転換のしかたを始めとして、高水山での獅子舞の変容のいくつかは受け身のものではなく、より積極的なもの(改良)であったと考えられる。太鼓のたたき方の変化も各演目の演出と同様に、意図的に工夫し変えたものと推測できる。)
 一般に何かの変化が起こるときには、一時のうちに大きな変化が起こり、それ以外の長い年月では些細な変化にとどまるということが多い。大きな変化が起こるときは、外部条件が大きく変わったときであり、時代の転換点であることが多いようだ。大丹波で創始された獅子舞が高水山へ、そして高水山から下名栗へと伝承される中で大きな違いを見せるのは、次の伝授地へ伝承されたときであるように思える。
 そしてこのような変化の大きい時代は、私たちの想像をはるかに超える情熱と熱心さで獅子舞が行われていた時代でもあった、と考えてもよいのではないだろうか。
 (※ なお、江戸時代後期以降は大きな変化はしていないと考えられ、現在は先人の遺した獅子舞をしっかり伝承することに最大の関心がはらわれているようです。もちろん、演目の内容をよく理解し、上手に活き活きと舞う・奏するという面ではいつの時代も変わらない関心事であるはずです。)
 なお、ここに書いたことは推測です。そして、いくつかの前提条件が違っていたものだとしたら、結論もまた違ったものにならざるを得ません。
 また、「ある程度の許容度をもった緩やかな伝授」と少し大げさに書いてしまったが、実際にはすべての演目がもれなく伝えられ、笛はもちろん演目の意味するところや構成もきちんと伝授できている。他の獅子舞の伝授関係と比較したわけではないが、伝授としてはかなり精度の高いしっかりした部類に入るのかも知れません。さらに、獅子に関する文書をいくつも書き記してきたということを考えてみても、高水山の先人たちがいかに獅子舞に情熱を注いできたかが分かるのである。その情熱のために、初期において受け継いだものを更に発展させ、大きな演出上の改変等を行ったとも考えられる。


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